Friday, December 16, 2005

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京都と長崎と奈良の事件の類似性について

相手に自分の存在を拒否ないし否定された

相手の存在が自分が存在することに強く関わった

つまり、相手が存在することが、自分の存在を危うくした

否定の応酬として、相手の存在を拒否さらに消去した

その結果として、他人に拒否された自分の存在を回復しようとした

逃げたり、自殺しなかったことがそう感じたことを示している
(奈良の件では服役中に自殺。自己崩壊がありうるということか?)

大切なのは自分の存在である

自己愛でも、妄想でもなく、存在のあり方を大切にする考えである

もちろん結果から見れば、顛倒している

奈良の件から考えると、存在の回復はできないとも言える

これらは日常的には仮想的に行われることがあるが、彼らはそうしなかった

彼らが真に存在を回復できたかどうかは関係がない

彼らがそう考えたことが大事なのである

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