Friday, December 16, 2005

ぶれないこと、誤りを認めること

アメリカのブッシュ大統領が「(大量破壊兵器の存在をめぐる)多くの情報が間違っていたということが判明したのは事実である」 「その判断に対して大統領としての責任がある」と発言した。ただし、「サダム・フセイン(イラク元大統領)を排除するという判断は正しかった」「われわれが今日、イラクに駐留しているのは単に独裁者を排除するという目標以上に自由と民主主義を定着させるためだ」とイラク戦争の正当性を主張した。誤りを認めつつも、ぶれていないことを示したいのだろう。

日本では、小泉首相が「日本は国連決議に沿って判断したわけですから」とし、安倍官房長官も「大量破壊兵器を持っていないことを証明する責任はイラクにあり、イラクはそれを無視し続けた。武力行使は安保理決議に基づいたもので、日本の支持は合理的な判断だった」と、共に正当性を強調した。あくまで、ぶれていないことを示したいのだろう。そうはいっても戦争前には、イラクに大量破壊兵器はない、という主張はたくさんあった。アメリカを支持しない国があったのはそのためだろう。

日本では政治的誤りを認めることは総辞職につながりかねない事態であるから、なかなか認めない。内閣不信任が機能しないと、政治的誤りが正されにくい。

アメリカでは、大統領は任期が保証されているから、誤りを認めても辞職する必要はない。認めても正されるとは限らず、居座るだけのこともある。ぶれてないと主張されると、正されにくくもある。ぶれないことが優先させると、奇妙な事態が起こる。

政権自身の政治的誤りが見つかったとき、うまく機能する政治システムはどういったものだろうか。行政権をうまく抑制する方法はあるだろうか。

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